“青く澄んだイマジネーション”

愛情そそぐ、りゆうはいらない。

好きなことだけ書くびより。..父

なんだろうな、

いま、悩みの波の、頂点に近い位置にのっかっている気がしていて。

小6のわたしが、ちいさいながらよくあんなに考えたなあと感心するほど、12歳は大きな波に囲まれていました。

それがまたやって来たのだと、やけに冷静な自分もいるのですが。

 

こういうときに的確に、納得させるのは父の得意技。

わたしは高校を卒業したら家を出るつもりだし、わたしの父は同年代の子の親より年をとっているので、父との時間はとても短いの。

やけに寂しくなった誕生日前夜です。

 

 

 

わたしは、妹が生まれる前から妹がきらい。

物心ついた頃に母から突き放されるのだから、妹が悪くてもわたしが怒られるのだから、好きなわけがない。

それから、妹もわたしもまだまだちいさいときに妹が手術を受けることになって、わたしは常に父とふたりきりだった。

隣の県に入院していた妹と、つきっきりの母。毎晩父の胸を濡らしていたなあ。

 

いまでも泣けるその頃の影響か、わたしは完全なお父さんっ子になりました。

それはいまでもほんとうに変わらなくて。

 

本の虫である父は、何でも知っているんです。頭が良くて、でも娯楽にだって知識がある。

映画について、日本について、音楽について、勉強について、

父と真剣に語り合う時間が大好きなんです。

料理が上手で、動物が好きで、視野が広くて好奇心が絶えず、格好よい父が大好き。

 

父のお葬式ではたぶんわたしがいちばん泣くとおもう。

「まだ話したかった」「教えてほしかった」と、声が枯れるほど泣き続ける気がする。

でも、もし父に永遠の命があったとしても、わたしは一生を終えるうちに話し足りることはきっとない。

世界のニュースが絶えない限り、映画が消えない限り、音楽の概念がなくならない限り、父と話すことは無限で聞きたいことも無限なんだろうとおもう。

 

 

ピークを更新し続ける、母とわたしとの仲のわるさが日常の潤いを吸い取っていくなか、

父との会話はオアシスというか、お水のようなこころの拠り所なんですよね。

お酒を飲むとすぐに寝ることと、寝ると色んなことを忘れてしまうことがかなり厄介な難点ですが。笑

 

芸術の趣味や味覚の好みが似ていて肯定されることって、父が死んだら誰が満たしてくれるんだろうなあ。

父が死んだら、こんなにも博識な人に出会えるのだろうか。

このまま健康なら、あと20年くらいは生きられるとおもうけれど、父の命に人のいのちに限りがあることを改めて悔しく感じます。

 

 

だけれど、親離れのひとつとしてわたしは本を読みたい。

父のことばのきっかけを、わたしも吸収してことばをたくさん手に入れたいとおもっている。

本の前に見たい映画や聞きたい曲が山ほどあって、本でもそれらでもいいよと父は言っていた。

でも、ことばの直接的な源は、父が常に開く本のなかなのだろう。

 

本のなかには、わたしのうじうじ心を蹴り飛ばす時間がある気がしてるの。

ここまで慕う父にも母と同じような、信じてやるもんかという感情がすき間にある。

それは、わたしの家族はみんな“上の子”ではないから。

長女わたしと母との確執がつくったアダルトチルドレンの存在を、一生、くちびるのなかで嘆くとおもう。

だけれど、そんなこころの濃度を薄めることばは、かたっぱしからひらいてけば見つかると考えているのです。

 

その考えさえ、父からの影響が大きいのだけれど。

いつか、父の「知らなかった」を手に入れるため、わたしはアンテナを休めることはないぞ。

父を超える勢いで。

知識に手をのばしたい。