青い春。
どうして顔は、はっきりと見えなかったんだろう…。
きょう、夢に、大好きだった先生が出てきてくれました。
いつかの夢の続きでした。
中学2年生のとき。副担任の先生を好きだったんです。
やさしくて格好よいのっぽな先生。
こんなにも誰のことを好きになったのははじめてでした。
まばたきさえ愛おしくて、あくびがうつるのが何より幸せで。
9月頃、朝礼で「結婚します。」と言ったあの日も、
異動になるときいて、いちばんきれいに焼けたチョコパイを、いちばん大事に学校へ持ってきたけど渡せなかったバレンタインの日も。
いつもの紺色じゃなくてみどりのネクタイをしていた離任式の日も。
たーいせつな記憶なのに、よく泣くの。
夢のなかに現れたのはほんとうに貴方?
どうして顔は、はっきりと見えなかったんだろう…。
RADWIMPSの『春灯』をきいたときにね、
(ああ、わたしの片想いは可哀想じゃなかったんだ)ってちょっと泣いた。
「あいたい人がいるこの世界に きょうも目覚めるぼくはきっと しあわせですよ」
この曲の行き先は、わたしのもとではありません。
でもなんだかうれしかったの。
「お前のあいたい人がこの世にいるの。それはしあわせなことなんだからありがたくおもいなさい。」みたいな捉え方じゃなくて
洋次郎にもあいたい人がこの世のどこかにいるんだ
と安心した。
わたしは、ずっと不幸だとおもってたから。
好きな人に想いが届かない、届いてはいけない存在で、その人は結婚して異動になって、何も言えずできず、国語の成績も上げられず終わってしまった。
そんな自分は、なんてかわいそうなんだろうってずーっとおもってた。
でもこの曲をきいたとき、
もしかしたらわたしだけじゃないのでは?
片想いで報われない、おもい出しても苦しい恋は、ほんとうにわたしだけ?不幸なの?
ううん、きっとわたしはそうじゃないのよ。
しあわせだったとおもう。
たいせつな片想いだったとおもう。
この世界にいるんだからあえるチャンスは0じゃあないでしょう。
大きく深いこの傷が、いつかはわらいばなしになるのを、わたしは知っている。
貴方の子どもは今年でいくつになるんだっけ?
またあったときは、きっと目を合わせるからね。
ことばにできてよかった。